リタ研ブログ 大庭夏男の早期退職法

リタイアメントの生活改善研究ブログ

リタイアする前に捨ててしまうこと

      2017/05/07

1.努力してここまで登りつめたという意識

その努力は今まで会社から受け取った給料に全部反映されました。なので会社を辞めたら「努力してここまで登りつめたのだ」という意識は、真っ先に水に流して捨ててしまった方が幸せです。リタイアしてからは、そういう「過去の栄光」は役立たないどころか害になります。誰が個人の「過去の栄光」にすり寄ってくるでしょうか?

2.節約して貯金を増やすという考え方

持っている財産を死ぬまでに全部使い切る、という考え方がリタイア後の基本的目標です。なぜなら死んだら天国にお金は持って行けないからです。子どもに残すという理由も妥当な選択肢だと思いますが、子どもにはお金を残すより、そのお金をかけて上の能力をつけさせる方がいいと思います。節約意識は「無駄なことをしない」という倹約意識は良いことですが、やりたいことまでケチることは非常事態以外はやらない方がいいと思えます。

3.始めるまえに「習わなきゃ!」と思うこと

大人が「習う」を必要とするのは、例外もありますが多くの場合は短時間で使いものになるようにするための「訓練」です。会社員時代はそのためにたくさんの業務上のトレーニングがあり、並行的にさまざまなカルチャー教室が世の中にありますが、リタイア後には時間の余裕があります。習うのではなくて、創意工夫と試行錯誤を繰り返して、できるようになる方が身に着きます。「習う」をすると、大勢の人ができることと同じことまでしかできるようにならないかもしれません。

4.「なんとかなるさ!」という楽観的な処世術

「なんとかなるさ」の後ろには、どうせ将来のことをあれこれ考えても無駄なのさ、という考え方があると思います。確かになんとかなると、私も思いますが、「なんとかなる」のレベルはものすごく低いところでなんとかなる可能性が強いです。究極は「老後なんてなんとかなるさ」と考え、浪費を続けた結果、老後破たんして生活保護で「なんとかなった」ということでしょう。これでいいでしょうか?私はそれじゃダメだとい思います。
「なんとかなる」じゃなくて「なんとかさせる」。できる範囲の資金と時間を「やりくり」して「こんなふうになりたい」ところ付近に近づけるような努力がリタイア後に必要です。

5.自分探し

会社を辞めてしまうと「自分にはいったい何ができるのだろう」と前向き?に考えるようになり、さまざまな試行錯誤を繰り返す人がいます。大庭夏男もそのひとりでした。「あれっもできるんじゃないか、これはどうだ」とあちらこちらに首を突っ込んで得た答えは「何も新しいものは見つからなかった」です。

私が今やっていることは、会社員時代からすでに始めていたことだけ。ブログを書くことも株式投資もボランティア活動も、全部「昔取った杵柄」です。

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なぜリタイアしてからの自分探しはうまくいかないのでしょうか?
50歳を過ぎると、まったく新しいことに適応することが困難になるからではないでしょうか?発想の柔軟性は低くなるし、毎回新しいことに取り組む精神力は衰えるし、「今更なんでこんな努力を??」と思いがちだし。難しいのです。

私は断言してもいいぐらいですが・・・
定年退職ぐらいの年齢になって、今までにないまったく新しいことを始めたとしても長く続くことは無いと考えています。だからもし会社の仕事一筋の「仕事の虫」だった場合は、さぞかしリタイア後の暮らしが苦痛だと想像します。なので会社員現役時代から、ずっと続けられることを持っていることがとても大事だと思います。

では「仕事の虫」だったリタイアメントはどうしたらいいのでしょうか?
私が感じたたったひとつの解決策は・・・
「誰かから頼まれた仕事」をすることです。頼まれた仕事なら自動的にやる気スイッチが入ってしまい、継続的に続けられるエネルギーが湧くからです。私自身はそういう種類のこともやっていますが「好きなこと」しか受けません。

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