リタ研ブログ 大庭夏男の早期退職法

リタイアメントの生活改善研究ブログ

リタイアすることへの間違った思い込み

      2017/05/07

ライフハッカーの記事にあった「海外旅行に関する間違った思い込み」を読みまして、この記事のタイトル「間違った思い込み」にヒントを得て連想記事リタイア版「リタイアすることへの間違った思い込み」を書きました。

とりあえずリッチな暮らししたがる

「待望のハッピーリタイアだからね。この先はゴルフ三昧の悠悠自適で行きますよ!」。そういうことが実現する人は、数少ない「成功者」だと私は思います。
当然、成功者の真逆の失敗者という人がいたとしたら、絶対それはできないし、病気か怪我などやむを得ない事情が無い限り収入確保の道から引退できないことは確かです。

ただ、成功者ではない、かと言って失敗者とは言えない中間層は、見えないだけで実際は多数派となっているのではないでしょうか。私自身も中間派だと認識していまして、このような層は成功者がするような、引退してリッチな生活はできません。しかしリッチでなくても、やり方次第で自己満足できる暮らし方はたくさんあると実感しています。

ゴルフ三昧の毎日、世界一周の船旅、などは中間層は縁が無くてもエクスペディアでホテルを探し、バスや電車で行く個人旅行ならあまりお金がかかりません。最初はそういう旅行はなかなか上手くいきませんが、やがてコツが分かり効率良く外国でも旅できる楽しさが身に着くと思います。同じようにボランティアや家事仕事でも、慣れてコツが分かると面白くてそれをするのが楽しくなる。そういうタイプのお金のかからない生活もあります。

組織から離れるのが怖い

サラリーマンを引退するとき「辞めたらみじめな暮らし・・・」の不安感が多かれ少なかれ頭を過るでしょう。その不安感の正体のひとつが「組織人を離れること」です。今まで会社でみんなと一緒にやってきた集団の中での自分という「慣れ」。それと肩書きというアイデンティティーがはく奪されるとバカにされるのではないかという恐怖感が自動的に漂ってきます。だけどこの二つは辞めてからの時間の経過と共に軽くなっていきます。そう心配することはない不安感や恐怖感と言っても過言ではないでしょう。

しかし辞めると「無職」というレッテルが付着する期間があるため、ここでさらにプライドが傷つき再就職に踏みだす場合があります。再就職すると多分以前の組織と今のそれとの比較、以前の肩書きと今のそれとの比較を始めてしまいます。私は一度転職したので、以前の会社と転職後を比べました。そういう比べるクセが新たに頭に染みつくことになりました。おかげでリストラ退職後には半年ぐらい「男一匹」暮らしに慣れず、街を裸で歩くような気分になりましたが、1年後にはそんな気分も消えました。

消えた理由は「ブロガー」という肩書き?で自分独りでビジネス?を始めたからです。肩書きもビジネスも私の場合は「なんちゃって」の超ゆるいプチ起業で、プライドはもはやありません。気がついた面白そうなことを記事にして楽しもう、できたら読者にも楽しいか少しは役立つことを書いて行きたいと思いました。なのでリタイア後のかなりダウンサイジングされたプライドでも実際は十分だった、と思える日はそう遠くない内にやって来ると思います。

貯金が減るのが怖い

これは言いかえると「工夫しながら暮らすことに慣れていないために、お金がすくなくなると怖いと思ってしまう」になるでしょう。工夫しなくてもお金があれば何とかなるのが現代です。だから「せっかく貯めたお金が減るのは問題だ!」という発想になります。しかし私はこれは本当の問題ではなくて、死ぬまでに必要なお金がまったく想像できないのが本当の問題だと考えました。たとえば「せっかく貯めたお金」があったとしても、もし実はそのお金の量ではお墓が建てられないと分かったら問題でしょうか?

「お墓を建てなければならない」と思ったら確かに問題です。
でも「お墓は諦めた」と考えを変えれば問題は解決します。上述の「工夫しながら暮らす」とは、たとえばこのようなことも含みます。

でも現実はそう簡単ではなく、身内の病人の介護や子どもの学費など、深刻なお金の事情もあるでしょう。もしそうであれば、今後の介護費用や学費の推定をして「足りないから引退しない」と決めることができます。それでも事情により引退しなければ生活が成立しないのであれば、それはもはやリタイアの問題ではなく生活保護とかのセイフティーネットマターになるでしょう。

私はリタイア暮らしは「面白くて楽しい」にどれだけ近づけるかが大切だと考えます。そのためには家族に配慮するのは当然ですが、面白く楽しめることにせっかく貯めたお金を有効活用することを忘れてはいけないと思います。

すぐ「稼がないと食っていけない」と言う

「食っていけない」について真剣に考えてみることが大事だと思います。
「自分にとって食っていけないとはどういうことを指すのか?」ということを考えるのです。

「食っていけない」とは、食うや食わずの限界生活でもしていない限り、ふつうのリタイアメントは「食料を得られるかどうか」だけではありません。きっと「衣食住の足りた、健康で文化的な最低限の生活」を指すのが「食う」という意味でしょう。

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この「最低限の生活」が曲者です。
ある人は物を大事に修理しながら使ってお金がかからない暮らしで十分と思うでしょう。そういう人と「流行遅れに服などとても着て外を歩けない」という人を比べたら、当然後者の方が「最低限の生活」であってもお金がかかる暮らしになるのです。ここで後者の人に「それは贅沢だ」とは言えません。それぞれの人が最低限か贅沢かを判断しなければいけませんし、それを他人が「こうしなさい」と言うのは価値観の押し付けです。

なので、リタイア予備軍になったら、自分達の最低限の生活とはどのようなものを指し、その費目別の内訳は今後の年々に渡ってどうなりそうかを推測し、今の貯えと退職金、それに年金でその「最低限」が賄えるかどうかを調べてみないと「食える」か「食えない」は判断できないのです。これはそう簡単には分かりません。私の場合はこれを真剣に検討して「最低限生活」を辞める前に何年も試しました。

そんな面倒な「食える」「食えない」のテーマなので、多分面倒だから「とりあえず食えない」と思考停止してしまい、実際は食えるのにリタイアに一歩踏み出せない人はいると思います。そういう人は面倒でも将来の「食う」ための予算と貯蓄を比べて検討することをお薦めします。

ただ、別のタイプの人は「食えない」を「何だか理由は自分でも分からないけど今のサラリーマン生活をとりあえず続けたいんだ」という理由無き欲求のために、とりあえずの対外理由付けとして「辞めたら食えない」を言う場合もあるでしょう。当人は辞めたくても奥様が「そんなことしたら食っていけないでしょう!」と言う場合もあるでしょう。「辞めたら食えない」は上述のように真剣に検討するには骨が折れますから他人には絶対に真実が分かりません。なのでもっともらしい即席の対外理由になり得ます。

こんな場合には「辞めたらこんなに楽しいことが待っているんだ」と当人か奥様が気付くことが無い限り延々とサラリーマン暮らしを続けることになります。でもそれで良ければ何も悪いことはありません。気がつかなければ気がつかないで幸せということもあります。

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