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リタイアメントの生活改善研究ブログ

リタイア後を助ける「引きこもる能力」

      2017/05/08

「能力」という言葉はふつうには“何かをする”能力のことを指します。しかし世の中は複雑。“何かををしないでいられる能力”も存在します。

今日の話題はリタイアメントが“世間にかかわらずにいられる能力”自分家に引きこもったまま“楽しく有意義に過ごしていられる”という能力の話。

念のために補足いたしますが、今日の話題は“リタイアメント限定”です。
当話題はいわゆる「若者のニートや引きこもり」を助長するものではありません。既に会社生活を家庭内合意の上に引退して自己貯蓄と年金で生活可能な人が、会社員時代には必要無かった「独りで楽しく過ごす」という話題です。既に社会生活は十分に実践済の人には社会に出られないわけではありません。そういう社会性は身に着いていながらも、独り遊びの能力も持っていたらいいですよ!という話ですから、似て斐なるニート引きこもり問題とは混同しないようにお願いします。

なぜ引きこもれる能力がリタイアメントに求められのか?

リタイアする前の会社員生活は、目指す方向が完全に定まった集団活動でした。そこではみんなで一致した進むべき方向に向かって協力し合う活動スタイルだったので、会社員はお馴染みのフレーズ「報告、連絡、相談」のいわゆる「ホウレンソウ」による仲間どうしの闊達なコミュニケーションに支えられ続けて来ました。

ところがリタイア後はホウレンソウがまったくありません。嫌でも自分で今日やることを決めて黙々とやるか、何もしないでテレビ見ているか・・・という暮らしがリタイア翌日から始まります。

誰かにこんな「独りで過ごす毎日」を打ち明けると、十中八九「そりゃ独りは良くない、どこかサークルにでも入って、みんなと一緒に会話したり運動しなければダメだ」とアドバイスが返ってくるでしょう。このアドバイスは外れてはいません。半分当たりです。もしさらにアドバイスが「でも独りで過ごすことも練習して慣れなければいけませんよ、なにしろリタイア後は現役時代より圧倒的に独りでいる時間が長いのですからね」と続いていれば完璧です。

リタイアメントは毎日“決まった行く場所”はありません

サークルに参加すれば行くところができますが、毎日そこに行くわけでもありません。無理やり毎日そこに通ったとしても、仲間も毎日来ている保障はありません。

毎日行ける場所が有ったとしても、仕事や会話が自由にできません

図書館は毎日でも行けますが独りで本を読みふけるだけ。デパ地下には話し相手になってくれる店員さんがいますが、彼女達は仕事をしているので、長話は業務妨害です。3分以内で会話は切り上げなければなりません。

近所に同年代の知人が何人いても会話は面白くありません

ご近所さんは会社の同僚ではないから、会社員時代のような“目指す方向が完全に定まった集団活動”ではなく、みんな意見がてんでんバラバラな烏合の衆です。

たまに気の合う仲間がみつかりますが、遠慮は必要です

仲間は自分のものではありません。会社員ではないから相手が年下だから年功序列が通じるご時世ではもはやありません。

上述はリタイアメントとしての経験です。

会社員からリタイアすると、必ず多かれ少なかれ孤独を感じることになります。
ただ、これは考えようによっては“天の恵み”でもあります。
現役時代は集団でしか選択肢が無い日常ライフスタイルだったのが「日常的に独りで活動することが許可された」に変化したのです。

つまりリタイアメントは、もはや貯蓄と年金で基本生活は賄える身分になったので、集団に拘る必要はなく、好きなときに好きなことができる大きな権利を得たようなものなのです。

集団生活では必ずホウレンソウを求められ、誰かから必ず意見を言われ、多くの場合は自分の意向を多少なりとも修正しなければなりませんでした。そのプロセスなしに事を運ぶとどうなるかは言う間でもありません。

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しかしリタイアメントになった途端、ホウレンソウの呪縛から離れることができます。それを活かすためには“独りの活動”つまり独り遊びに強くならなければなりません。リタイアしても二人以上で遊ぶには必ず意見を合わせなければダメです。その理由は改めて言う必要は無いことで、社会人を豊富に経験済のリタイアメントにはた易い“仲間との協調”です。

なのでリタイアメントの課題は「独り遊び」

そのためには引きこもっていられる能力が是非とも欲しいのです。

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