リタ研ブログ 大庭夏男の早期退職法

リタイアメントの生活改善研究ブログ

セミフーテン暮らしへの誘い

      2017/05/08

今日の記事は「いったい何が言いたいの??」と思われるかもしれないので、予め何が言いたいのか書いておくことにします。
私が言いたいことは・・・
会社を辞め、働かなくても生活できる状態で「何か面白いことをやろう!」とした場合、会社生活のような、一直線に目標に向かってまっしぐらみたいな、ブレない行動はなかなかできないですよ、ということです。

会社を辞めて始めたリタイア暮らしは、気づいてみたら、あっちに流され、こっちへフラフラ、こんな地に足のつかないライフに陥ってしまうことがあります。

そんな付和雷同な暮らしとは、ビジネス社会では「ご法度」ですが、まあリタイア後の1,2年間はそんな地に足のつかない生活をいっぺんは“楽しんでみたら!”とも思います。なぜならそれは学生時代以来の、久しぶりなフーテン生活で、実はとても楽しく思い出に残るからなのです。

でもそんな暮らしからそろそろ卒業しなきゃならないのが、リタイア後5年目あたり。

長過ぎるリタイア後フーテン生活は、もはや若くないアラ還世代の人にとっては有害にならない、とは言い切れません。ある日自分の顔を鏡で見ると、目はもはや鋭い眼光が消え失せ、口元だらしなく垂れ下がり・・・みたいな。この世代は、もはや自分の認知機能低下と戦わなければなりません。そのためには明日の活力が必要です!

大庭夏男の初期のフーテン時代は約1年間でした。
週休4日の職を力なく探す一方で、家で主夫をやって過ごしました。妻がパートで働き、月10万円を家計に入れ、私は炊事に洗濯、犬の散歩をこなし、散歩しながら目に入る新緑の景色にとても新鮮な感じがしました。

その後「なんぼなんでも毎日これではイカン」と奮い立ち、モノ書きとして頑張る・・・いや頑張らないけど末永く続ける!と決心してブログをいくつも立ち上げて記事を書きまくりました。そう思ったので妻の稼ぎは全額妻の小遣いにして、私も同様に自分の稼ぎだけで事業を賄うことにしました。

なのでブログに貼った広告の収入を、少しは楽しみにしていた私でしたが、そうはなかなか問屋が卸してくれません。「ちょっとしかお金が稼げない・・・」。不満になった私は多少お金をいただける「有償ボランティア」というのを目ざとく見つけて、参加しましたが結局誰かから指示されて働く「安すぎる賃金の労働者」状況が残念になり、こんどは株やFXなどの投資に時間と労力とお金をくべることにしました。「これでリタイア後の収入の道に目途をつける」。ただ、この道の収入は、まさに時のいたずらに左右上下されて、一喜一憂、下げのときには心臓負担が大です。

それで・・・
今度は学習塾を始める!というリアルビジネスを模索することに。
ビジネスであれば努力次第で実績が伸びるだろうし、収入も軌道に乗れば、ある程度は見込めるだろう。それに経験者と協同で個人事業として始める予定だから、塾運営ノウハウはその経験者から得られるだろう。

こんなことをしながら、フーテンではなくなったハズの自分のセミリタイアメント生活を振り返って見ると、実は相変わらずあっちへ流され、こっちへフラフラし続けているのだなぁ、と、フーテン時代とあまり変わっていないことが分かってまいりました。

自分では、せっかく会社を辞めて自由になったのだから、やりたい事をいくつか始めて、だけど始めた事はそれぞれ芽が出て育って欲しいと考え、期待するのです。それに努力に伴って収入は増えて行って欲しい!努力に比例して収入増になるべきだ!そうでないと嫌気がさす!これは本音。

もう生活費は将来の分までOKなのに、そうだからリタイアしたのに、どうしてか分からないけど、いまだに「努力したら収入というご褒美をもらいたい」欲求は消せません。消せないどころか「もう5年も努力しているんだから」といまだに年収30万円とか40万円そこそこで留まっていて、上昇が飽和している現状がなんとも不満となってきてしまう。ここが問題です。

「収入がもっと欲しい」と思えば思うほど、何か事が起きると『これはチャンス!』と思い込んでしまい、本業?のブログ書きをおざなりにして、今は塾の立ち上げに頭の中がのめり込んでしまう。
もし塾の仕事が首尾よく軌道に乗り、その後に収入増につながったら、これは満足でしょうからフラフラ流されている感は無くなると思うけど、思うように行かなかったら中途半端に、その場のなりゆきに流されて過ぎる時間が増えるだけになるかもしれません。

「セミリタイアメント」つまり趣味と実益をやっていく、みたいな生活態度は「あまりガムシャラにならないで済まそう」と考えてしまう。これがフラフラ流されることにつながる要因ではないかと、自分でも気づいています。もし上述の塾立ち上げで、もっと積極的に、能動的に、エネルギッシュに私が動けば実情はもっと前進するかも!?しれません。
私が積極的にならないで、相手主導で進められていくことに期待しているからフラフラ流され感が出ている。これはまず間違いないです。

そう分かっていながら、なぜもっと私が能動的にならないのか?

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私の場合「積極的に動かない」ということは実は本当の問題ではありません。
「なぜいつまで収入にこだわり続けているのか」が本当の問題点なのです。ところが現実は上述のように、事が進んでいるという指標とか、成功して満足したかどうかのバロメータがいまだに「稼いだお金の額」なのが払しょくできないのです。
「お金のことは一切考えない」
楽しいと思った本質の事だけを追求する。このように変身できないのがフラフラ流される症候群の病魔。どう治療したらいいのか、私にはまだ分かりません。

ですが「セミリタイアメントとは家計以外の追加的な収入を得ることをするリタイアメント」と私は位置づけているので、少ないけど収入を得ながら、でも一方では「お金のことは一切考えない」を目指しているのだから、これはセミリタイアメントの構造的な短所なのでしょう。

多分私は今後一生、フラフラ流れるセミフーテン暮らしを続けることになってしまうかもしれません。

まーそれでもいいか!。。

 - セミリタイアメントとは