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セミリタイアメントが抱える「稼ぎ続ける」という問題

      2017/05/08

今日は自分自身でも悩ましく思う“セミリタイア”の問題についての記事を書くことにしました。

セミリタイアの意味は統一されたものがありませんので、ここで言う「セミリタイア」とは、リタイア後にも“ゆるいビジネス”や趣味と実益、あるいは株式投資・FXなどを行ってお小遣い程度の収入を得る活動を続ける式のライフスタイルを指すことにします。

私はこれを約4年続けていますが、最近「これでいいのだろうか?」という疑問が湧いてきました。

上述の「ゆるいお金稼ぎ」でリタイア後にも「お金稼ぎ」に取り組んでいると「収入を増やす」ことに気持ちが集中してしまい、肝心の「自由な発想でリタイアメントをエンジョイする」という精神がおろそかになってしまう。つまり「楽しいこと」より「稼げそうなこと」を優先してしまう。

これが最近の私が感じる「悩ましく思う」ことです。

● お金をいただくことは、確かにやる気を持ちあげる優れた方法だと思う

(少しでもいいから)お金を得るということは「自分のやったことに『価値があった!』と肌で分かる」からやる気を保つのにかなり役立つ良い手段だと思います。しかも金額は数えられるから、昨年より今年は「成長した」などと測ることができるし「5年後には年収100万円を達成しよう!」とはっきりとした目標がたてられます。

こんないい成長の「道しるべ」は他にあまりありません。努力の結果のお金は、使って別の楽しみを得ることもできるから一層「稼ぎ」に熱が入る・・・という、ある意味良い連鎖が起きます。これにハマっている限り、いつまでも続けられるゆるいビジネスや趣味になる。こういう効果がお金稼ぎには確かにあります。

● リタイアメントに本来「お金を稼ぐ」必用はない

「リタイアできる」ということは「今後一切稼がなくても楽しく暮らしていける」が必要だと私は考えていました。今もそう思っています。でもなぜその考え方が最近ぐらついてきたのか?

漫然と無駄に暮らしていない、と自分で分かる指標が欲しいから、稼いだお金が毎年成長する姿を見たいからです。

● 「お金は後からついてくる」式の発想であればいいのだが・・・

ただ現実は「楽しいことをすればするほどお金が稼げる」なんてありません。お金稼ぎには稼ぐ努力が要ります。

もし「お金稼ぎのためにやっているわけではない」「やった結果にお金が降ってくるだけのことだ」が思うようにお金に結びつき、知らないうちに収入が増えるようなことが起きたらいいのですが、起きません。そういう現実があるので、私の場合はリタイア後に「ゆるいビジネス」であるブログアフィリエイトを続けていくうちに、いつの間にか「もっと収益を上げるにはどうしたらいいか」の罠にハマってしまっていました。

こうなるとブログ記事に「書きたいことを書く」よりも「稼ぎにつながりそうな記事を探す」に頭が向いてしまい、やりたいことを後回しにしていることに気づくことがあります。

● 「楽しみ」は測ることができないのが問題だ

楽しければそれでいいじゃないか?難しく考えることはない!と思うのですが、なぜか私はそう思えません。海外旅行などの楽しいことがあると、その時は「ああ楽しい」と思うけど後になったら“宴のあと”みたいな満たされないものを感じてしまい、何度も旅行を繰り返しても「楽しさが溜まって満足」な気分になれないのです。

こうなる理由はお金のように楽しみの大きさを数えたり、貯めたりできないからだ!と思うようになりました。

これは多分サラリーマン時代についた“悪いクセ”です。

サラリーマン時代にやった仕事は、それが済んで「よくやったな」と満足していられる期間は、仕事が終わったその日1日だけです。翌日になると、済んだ仕事のことなどどうでもよくなってしまいます。しかし済んだ仕事の結果、お給料が少し上がると嬉しかったので「やっぱりお金だぁ」と、やる気はお金からという発想に染まってしまったと、自分自身を顧みてそう思います。

● お金以外に「測る」ことができる方法が無いのか??

そう思って私の周囲を観察したら、居ました!

囲碁にハマって対戦勝負を挑み続けている人がそれです。その方は私よりも上の年齢のリタイアメントで毎週のように“挑戦者”になって勝負を続けています。誰に勝ったとか、アイツにどうしても勝てない!ということが具体的に数えられるから達成度がよく分かり、上には上がいる限りこの挑戦は死ぬまできっと続けられるでしょう。

そういう意味で「競うこと」ができる趣味はお金が貯まらなくても長続きできるモチベーションを生むことができます。

こういう例は囲碁や将棋の他、対戦ゲームや草野球の監督などもあると思います。

● 測れなくてもやる気が維持できることは無いのか?

オタクな趣味。これはお金人あらなくても続けられることは間違いありません。損得勘定を一切度外視して、まさに本能的に好きだから、辞めようと思っても辞められないようなこと。私はそこまでの趣味は無いのでオタクにななれませんが、これが手に入ればきっと“極端に幸せなリタイアメントライフ”が実現すると言って過言はないでしょう。

今のアラフィフより上の年代には「オタク」という響きは違和感を感じる人も多いと思いますが、そうい言い方に代えて「ハマってしまうような・・・」であれば分かり易いでしょう。

○○にハマってしまう。たとえば先日テレビで災害ボランティアに出向いたのがキッカケで、その地の人との交流にハマってしまい、今もそこへ通い続けている人達の話題をやっていました。これは明らかに「終わらない、長続きする楽しみ」です。

別の例では「風俗通い」にハマってしまう人もアリです。

会社を辞めて風俗通いに明け暮れる。そうするときっと夫婦の仲は最悪になることは確実だから、会社を辞めて離婚して自由になって風俗通いに熱中する。理屈としてはアリであしょう。

● 他人から見て立派なことと「やれること」は違う

先の「お金を稼ぐこと」の話題に戻りますが、お金を稼ぐということは、それだけで「立派なこと」と見做されますから、お金さえ稼いでいれば居心地はいいです。「居心地がいい」というのは「楽しい」と似ているので、どうしてもお金を稼ぐことが頭から離れなくてしかたがありません。

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私の場合は誰かと対戦ゲームすることもオタク趣味を持つことも、それらに興味が無いから、ここに書けていない他の方法を探るしかないという気がします。

お金稼ぎを度外視し、誰かと対戦もせず、心底ハマらなくても長続きできる秘訣?

こんなものが実際にあるのでしょうか?

こう思うと頭に思い着くのは「主婦の方々はどうして毎日来る日も来る日も料理や洗濯が長〜い間続けられるんだろう?」ということです。

女性にはこういうことができる素質があるんだろうと思われますが、男にそれがあるような気がしません。

これがもしそうだとしたら、女性の持つ特徴が男のリタイアメントライフにも活かせるかもしれないと、そんな気がします。

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