リタ研ブログ 大庭夏男の早期退職法

リタイアメントの生活改善研究ブログ

男子 恨まれの道

   

過日、サラリーマンを定年退職したリタイアメント夫が、あまりにもボランティア活動ばかりに熱を上げたことが嵩じて、夫婦仲が悪化したという話をボラ友(同じボランティア活動をやっている仲間)から聞き「ウチもそうかも???」と思いました。

一方、我が家では、近年の町内会離脱者が近所で増えたことで負担が増した町内会を「もうウチも町内会やめる!」と妻が言い出したことをキッカケに、私のボラ活や町内会関連活動のことも夫婦で話し合ったところ、妻からかなり私のやっているボラ活&地域活に不満があることが露呈しました。

妻が言うには・・・
そんな事より、もっと家の仕事をちゃんとやってもらいたい!と。

これに端を発して、過去さまざまな私の会社生活&リタイアメント生活を思い出してみると、実は妻にいろいろ恨まれていたことを「走馬燈のように」思い出したので、ここにそれらを列挙したいと思います。

ここに列挙するのは「恨まれたこと」に焦点を当てたもので、今までの私の暮らしがすべて妻に恨まれたわけではありません。ただ、それらの恨まれ事はみな、その当時は良かれと思ってやってきた事ばかりなのに・・。

1.サラリーマン期
(1)残業で遅くなることで恨まれた
今から足掛け40年前、私達夫婦の新婚当時はまだニッポンの会社は長時間残業がアタリマエ。残業があるから手取りが増える。残業しないヤツは役立たずみたいな風潮があって、昼間はブラブラしていながら夕方から頑張る5時から男が主流でした。そういうことで私の帰宅は新婚早々から午後10時過ぎの毎日。通勤時間は車で15分でしたから毎日数時間は残業で頑張った毎日が勲章でした。
おかげでサービス残業を差し引いた残りの「お金になった残業代」を含めて手取りはなんとか15万円。

そういうある日、新婚早々の時期のことでしたが、帰宅したら妻が初めて怒りの顔をむき出しにして「遅い!」の一言を発し、その日は口きいてくれませんでした。
職場の仕事の流儀に逆らわず、残業代のために、良かれと思っていましたのに・・・。

(2)単身赴任で恨まれた
最初の単身赴任は会社からの異動命令で2年間でした。
その2年間に赴任した東京がとても良かったし、単身赴任手当も付いたので、2回目、3回目と自分から進んで単身赴任で東京暮らしを繰り返しました。

折しもその頃ウチの子二人は小学生やら中学生。
子育てを一手に引き受けざるを得なかった妻から、今でも恨まれています。
「あんたは子育てを何ひとつしなかった!」と。

一方、私の収入は上がったし、それまでの地方工場勤務では得られなかった仕事も経験したしで、40歳代半ばで転職もできたし、良かれと思っていましたのに・・・

(3)異文化に看過されたと恨まれた
その東京単身赴任では外資系に勤めました。新しい上司はドイツ人。
すっかりドイツ流の仕事に看過されてしまいました。ひとそれぞれだとは思いますが、私は彼らの仕事の進め方が、好みだと感じたし、自分の受け持ち範囲だけに集中する個人中心での仕事スタイルに魅了されてしまいました。

私の妻に言わせると「あんたがドイツ人と働くようになったのがキッカケで、態度が変わってしまった」だと。
妻はその前の私の態度と、今の私の態度を比べて、どうやらその変化に対して恨みを持っているようなのです。
異文化に接することは良いことだと、そう思っていましたのに・・・

2.リタイア期
(1)世間体で恨まれた
ドイツ人に限らず、アメリカ人やオーストラリア人上役は、面談すると「おまえの野心を聞かせてくれ」なんて言いました。
「おまえ、次は部長になりたいか?」って聞かれたから「・・・管理職はもうやりたくない。それより自分で起業したい」と私が言ったら、その上役は「オレもだ」と言いました。

それで、私は起業も画策しつつ、起業っぽいリタイアメント、あるいは傍からはリタイアメントにしか見えないだろう起業家に、52歳で転身しました。

最初はまあ仕方が無いと幸運にもそれを許してくれた妻も、次第にご近所さまや職場の頭カチカチの保守的同僚から「え!なんで早期退職許したの!ありえへん!!」とか言われ、洗脳され、ついに「あの時は仕方が無いと思ってリタイア許したけど、それでいいと思っているわけじゃないからね!」と私の行動を恨むようになりました。
妻のお許しをいただいたので、それで良いと思っていましたのに・・・。

(2)いつも家に居るので恨まれた
当然のごとく、世間体の悪い夫がいつも家に居るのを見るのは妻にとって我慢の毎日です。しかも私がボランティア活動などに足を踏み込む姿を見続けて「お金稼がないでやる仕事なんか、誰でもできるやんか!」と毒づくような症状を呈するようになってきました。

この頃、妻の脳内には「こんな暮らしはサッサとやめて、またどこかに就職しなさい」気分だったと思います。
私もリタイア当初は主夫を志し、料理もしましたが「あんたの料理なんて料理じゃない!なに!この味付け。こんなの味付けじゃなくて味覚破壊だわ」と私を罵りました。
「もう主夫なんて言ったら承知しないからね!」と、最後通告されたので、その後私は当ブログをはじめ「主夫の大庭夏男でございます」の看板を降ろしました。

やっぱり主夫と主婦はひとつ屋根の下で共存するのは無理みたい。
主夫になって主婦を解放することは良いことだと、そう思っていましたのに・・・。

(3)ボラ活と取るのか家庭を取るのかと迫られている(ボラ活取ったら恨まれる)
なので、私は結局またボラ活に戻ってまいりました。
ボラ活をやっている私は近所でも評判になり・・・というか、アイツは便利で使えるかも!と思われたのかも知れません。次第にあちこちから声がかかるようになりました。やった成果も好評なもんだったから、私はすごく有頂天になり、もっと地域に貢献しよう!

さらに今はボランティアだけど、ゆくゆくこれらの仕事でお金を生むように育てあげ・・・「そうだ!これを起業のネタにしよう」なんて、そういう気構えまで持ちました。
というのが私の今の姿です。

ところが、上述したように、私の地域活動に対する妻の評価は「ブブー」です。

妻は私にはもう働いてもらわなくて結構だ、とそう思っています。
それより家で、キチンと掃除するとか、できたら「わたし(妻)を見習って、料理も買い物も上手になってもらいたい」そう言っています。なのでそれができずに我が家ではない他のことばかりに目を向けるボラ活や地域活動には恨みがある?
そう思えるのです。

実際に定年後にボラ活ばかりしていることが原因で夫婦喧嘩、離婚のはなしまで発展した事例をボラ友が私に話してくれましたが、私もこの話は身に降りかかるかも知れないリスクだと思って対処しなければなりません。

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