リタ研ブログ 大庭夏男の早期退職法

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大庭夏男の反面教師。褒められ上手でなければ金持ちは遠のく

      2017/05/07

「マザコン男性のほうが社会的地位も収入も高くなる」らしいです。詳しくはリンク先記事をご覧ください。

ザックリな内容は・・・
親から愛情を注がれ、親との愛着が深い人は、子どものころから親の期待に応えようと頑張ることが習慣になっています。とくに母親から褒められ承認されることに喜びを感じ、そのために努力する、という。だからよく働き稼ぐようになるため、お金持ちになるらしい・・・というおはなし。

真偽は検証できないけれど、ハーバード大学という名門でそんな調査結果が出たらしいから、話半分でも頭に入れておく価値があると思います。

このはなしで注目する点は・・・
上述の「褒められ承認されることに喜びを感じ、そのために努力する」という個性はお金持ちにはなれやすいとしても「もんまにそれがエエんかよ!?」みたいな“その後のはなし”です。

大庭夏男はそうなりませんでした。
なのでお金持ちにはなりませんでした。
だから「褒められ承認されることに喜びを感じ、そのために努力する」であったら「お金」の面では良かっただろうなぁ、とは思います。
でも「褒められ承認されることに喜びを感じ、そのために努力する」スタイルの人にならなくてよかった、と思います。なぜならその方が自由だからです。

「褒められ承認されることに喜びを感じ、そのために努力する」スタイルの人にならなかった理由は、私の両親の育て方にあったと思います。私の親は子ども時代の私にどう向き合ったかというと、ズバリ「期待を下げた」です。簡単に言うと「この子に期待できない」と諦めちゃったのでしょう。

テストでカンニングさせたときには、とてつもなく怒られ、ひっぱたかれました。私の親は不正が嫌いです。その一方で、私の進路については「こうしなさい」とか言われませんでしたし、受験勉強、クラブ活動も友人関係も何もとやかく言われませんでした。私がやりたいようにやらせてくれました。その反面『あいつはそう秀でたこともないから、あんまりいいとこ行くのは無理なんじゃないの』と、特に親父は母にそのように言っていたようです。母は一応「そんな事ないよ」と言ったみたいに聞きましたが、本音は人並みでありさえすればよい、だったと思います。

私はそのように親から大きな期待も寄せられなかったので、勉強にもスポーツにも「まあこのぐらいでいいか」とマイペース路線を貫き、会社には首尾よく入社しましたが、私のマイペース主義は会社でも衰えませんでした。なので入社後に配属された部門長の私への感想は「あいつはマジメなのか不真面目なのか、サッパリ分からん」と、こう言っているよ、と先輩同僚から聞かされました。でも私はそれで満足でした。「だってダメとは言われていないでしょ」と思ったからです。

私のマイペース主義は、結婚してもすくすくと育ちました。
妻も私が「そこそこ人並みなら」文句ないようでした。たぶん私の子供時代に私にかけた親の期待と似たようなセンスが妻にもあったのだと、私はそう理解しています。
したがってアーリーリタイアというマイペースの極み行動にも許可が降りたし、ついでに当時健在だった私の両親からも、早くして辞めちゃうみたいな“人並み外れた行動”への非難は何ひとつありませんでした。

ところで、私の幼少からアーリーリタイア後の今まで至る行動を眺めてみると、マザコン男は稼ぐ!の原動力になっているとされている「誰かに褒められたい」という欲求があまり大きくありません。そりゃ褒められるのは嫌ではないけれど「褒められたら、失敗せずに済んだことが分かったのでホッとする」ぐらいです。率直な気持ちは「何も干渉しないでくれ」です。これは今でもそうです。

ところが「誰かに褒められる」ので仕事に努力できる人は、今回褒められたから次も褒められたいし、もっと褒められたらもっと嬉しいから更に努力を重ねる、みたいに努力と褒められるが正のスパイラルになってどんどん膨らみ、その結果の収入も膨らみ、お金持ちになれる、のではないか?と想像します。

これは「好ましいありかた」でしょう、まぎれもなく。
「褒められる」ということは正しいことを努力して完遂して良い結果を出したから褒められ、だから報奨も多額になりお金持ちにもなり、生活も豊かになって幸せになれるという王道のシナリオ通りに駆け上って行ける力があることです。まさに「幸せの王道」です。

一方、マイペース主義者の私の場合、そのような「幸せの王道」とは少し違っているみたいだと感じます。それに私の周囲には同様なことを感じさせる知人や同僚が少なからずいました。むしろこっちの方が多いみたいな気がします。そんな私の、サラリーマンを辞めるまでの会社勤めの原動力は「家族の生活を守るため」でした。

家族の生活を守るための「具体的な目標」もありました。それは、死ぬまで生活が困らない資金を給料と退職金と年金で確保することで、その目標額を何年もかかって算出しました。

で、その目標に到達し日に「今日がその日だ!」と分かることもできました。
こうなるともはや“無理して会社で働く必要性がありませせん”という意識になり、その日を境に興味は「いつ、どのような機会で今の会社を辞めるか」に変わり、それで実際にセミリタイアメントとしてブロガーの毎日になっているわけです。

私は毎日ブロガーとして“働いています”が、家族は誰もそれに興味が無いし、褒められもしないし、かと言って「そんなことより再就職しろ」とも言われません。でも誰も何も期待していなくても私は毎日ブログ更新というお仕事ができます。なぜならそれが今のマイペースになっているからです。

なので私は「褒められ原動力」と「マイペース主義」のどちらが幸せかは比べられません。と結論しました。

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親としては例えば小学生ぐらいの子にどっちの選択肢を持って育てるのがいいでしょうか?これは自分自身の道と違って子という「別の人格」ですから難しい問題です。私の子育てはもう卒業しましたが、これは難しい課題だと思いますが・・・
結局、私と妻の子育ては私の子ども二人を立派?なマイペース主義者に育て上げることに何の躊躇もなく、というか何も疑いも考えもせず、マイペース主義に向かってまっしぐらに育てました。どっちがいいだろう?なんて考えもしませんでした。

ただ今思うと、子育てでは、最初のうちは「褒められ原動力」型人間形成を目指す方がいいんじゃないか?とも思います。

でも、そうやって子育てしてもうまく行かず、もはやどうすることもできなくなった、となってしまったら、それはそれで理解して諦めて、たとえ大きく稼げなくても好きな仕事に没頭できるような、マイペース型の人になれるよう、親は支援してあげたらどうか。

そんな気がしました。

 - 天職ビジネス観察記