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会社勤めに意欲が無くても「超三流サラリーマン」があるさ!

      2017/05/08

この記事を書くにあたり、当初は記事タイトルを「超三流サラリーマンのススメ」にしようかと思いました。だけど超三流にわざわざすすんでならなくたって、結局流れ流れて超三流サラリーマンにたどり着いたとしても「まんざら超三流の世界も悪くないですよ」、が言いたいことなので、標記のように長いタイトルになってしまいました。

一流と二流サラリーマンは・・・

「仕事のためなら家庭を顧みず・・・」という昭和な熱血一流?サラリーマンはもはや絶滅危惧になっているのではなかろうかと想像しますが、きっと今でも上司や同僚に向かって「ぼくは仕事より家庭が大切だから・・・」と言ったとしたら、きっと「アイツは家庭第一、仕事は第二の、二流サラリーマンだ」と評価する“集団心理”は残っているでしょう。特にまだ頭カチンカチンの経営者が幅を利かせる会社では、時代の趨勢とは言え「家庭第一、仕事は第二」の社員は二流だと思われるのは目に見えていますが、そんなことを言うと労働組合から総攻撃されるから如才ない経営者は言わないだけです。

それなら、三流サラリーマンとは?

まあ言ってみれば平均以下、でもクビにするほど不合格社員でもない人。この水準を下に外すと「お荷物社員」のレッテルを貼られると思われます。

それに対して超三流サラリーマンとは

すべてが並み程度のただの三流とは違い、仕事のコアのみに持てる力を集中し、コア以外の雑多な仕事は出来る限り手を抜くという勤め方。以前そんなことが赤裸々に書かれた本に巡り合いました。

その本とは、昔1980年代後半、私が苦手とする営業部門に2年間放り出されたとき、仕事をサボって行った本屋で「超三流セールスマン入門」だとかなんとかいうタイトルの本を見つけ、むさぼるように読んだ、まさに「やる気の無い私の意識をまったく別なやる気に誘った」忘れられない本でした。

もう今ではネットで検索しても発見できないぐらい絶版後に消滅したらしいこの本の著者は、とある企業の営業部で活躍するも、好きで始めたサイエンスフィクションだったか、とにかく小説を執筆するために「自分の営業業務、すなわち受注すること以外は出来る限り手を抜け!」と、彼の経験を巧みな文章でリアルに解説した人で、その著作物は、まさに「私の人生を変えた一冊」なのでした。

今はもう手放してしまったその本の内容で覚えていることは・・・

・商品説明の途中であっても、お客が買う気を示したら「では契約書のココにサインしてハンコ押してください」とサッサと商談を終わらせてしまえ

実際当時営業マンだった私がマネして、まさにアッ!と言う間に受注できたことがありました。

・販売目標が未達になったら会社は決まって「活動日報出せ!」と言うから、そんなときは前回の活動日報をそのまま転記して提出してしまえ

営業マンは「受注して何ぼ」だから、お客さまにから契約書をとること以外の仕事にエネルギーを使うことをせず、(著者のように)好きな小説を書く時間をたくさん作れ、ということです。

この著者はその後どうなったのか分かりませんが、きっとその会社で昇進・出世するつもりは毛頭な無かったのでしょう。多分彼は毎朝営業所から外回り営業に出て、客先では「ではこの契約書にハンコを・・・」と手みじかに仕事を終わらせ、馴染みの喫茶店に入り込んでノートを広げて小説の続きを書く、こんな日々を送ったのだろうと想像できます。

この「超三流セールスマン入門」から学べることは・・・

会社に勤める目的・意義を「会社に貢献して認められ、エラくなる。高い給料をもらう」という一流サラリーマンの発想から「会社は自分に必要な○○をするための箱」とすげ替えるだけで“今まで考えていなかった会社の使い道”アイデアを思い着き、この本の著者のように趣味なのか副業なのか、とにかく会社とはまったく別のことが実現可能になるということです。

彼の場合の上述○○に入る「目的」は、やはり「安定的な生活費を得る」が入ると思われますが、お金だけが会社に勤める目的とは限りません。

人によっては「同僚と楽しむ」が入ったり、まさかの「不 倫 のため」であることも相続に難くありません。つまりそれらの目的を果たすために会社は使えるわけです。でも、まあ「生活費を得る」がポピュラーで、無難で、慣れた仕事なら、たとえまったく興味が湧かなくても毎日続けられます。でもそれだけでは殺伐とした会社生活になるから「別の楽しみ」の芽を育てるのです。

「別の楽しみ」がどういうものであるべきか?は一概には言えません。「超三流セールスマン入門」の著者の場合は、まさに会社の仕事スタイルと彼の「小説を書く」がベストマッチしたと言えます。なぜなら上述しましたように「外回り営業という会社の目の届きにくい場所に出てしまうから、そこでどんなにサボって小説を書こうがバレない」。

つまりのびのびと毎日でも自分の好きなことができる仕事環境を活かせた!わけです。

もし彼が内勤だったらこううまくはいかなかったでしょう。

ここから学ぶことがあるとしたら「社内には様々な仕事スタイルがあるから、自分の好きなことが実行可能な部署に、自分から移動せよ」かもしれません。かく言う私も、出張続きの部署に異動したとき、わざと遠回りをして「乗り鉄」を楽しみました。

もうひとつ「超三流サラリーマン」に大切なことは・・・

サボったために会社をクビにならないように工夫することです。

もしサボってばかりで成績が下がり、クビになったなら、それは超三流ではなく四流以下の「戦力外」です。「超三流セールスマン入門」の著者の場合はどうも社内では営業成績上位のいわゆるトップセールスマンだったようで、営業部では事情はともあれ売っていればクビなんかになることはないでしょう。彼はそこを「コア」だと見定め、コアを外さず、コア以外の仕事で手を抜きまくった、と見ていいと思います。

彼のような行動ができる人は、もし会社がその真実の姿を知ってしまったら、諸手を挙げて彼を高評価することは絶対にないと思います。しかし彼を邪険に扱うこともできません。なぜなら社の売り上げに直結した成績を残す人だったからです。「こんな私みたいな働き方を見習いなさいよ」と彼は著書で言いたかったのでしょう。ある意味会社によくある「忠誠心」を捨ててしまったフリーランスっぽ働き方なのかもしれません。

私も「彼のような働き方」を踏襲して続けていたら、今のようにアーリーリタイアメントにならなかったかもしれません。ただ会社の状況は必ず変化し、会社を辞めるキッカケやチャンスが急遽舞い込んで来るものです。

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リストラがまさにその典型的な例で、これはなかなか予見できません。反対に「定年退職」は「来るぞ!来るぞ!」と接近が見えますが、その前に「閑職に追いやられて窓際生活」の悲哀?も経験するのかもしれません。

こういう事情になったとき、困るだろうことは、会社への忠誠心のやり場が無くなることと、他にすることが無くなること、でしょう。もし「超三流セールスマン入門」の著者のように、早くから会社への忠誠心を外し、自分が心底楽しめる会社生活以外のことを築いていたなら、リストラや窓際といった一見不運に見舞われても、あまり慌てることなく冷静に「次の一手」を見つけ出せる能力がついてくるでしょう。

私は80年代に、当時やりたくもない営業の仕事に2年間放りだされたことをその後長く恨めしく思っていましたが、あの経験が無かったら「超三流」の考え方に行き当たらずに、平凡な会社員生活を続けていたかもしれません。

平凡な会社員生活の継続と、アーリーリタイアメント生活は、どっちが良いのか人によりけりですが、一見不運にも「仕事が面白くない」と思っている人がいたら「何のために会社に行くのか?」はよく考えて“今までと違う発想”にたどり着いてみてはどうかと思います。

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