リタ研ブログ 大庭夏男の早期退職法

リタイアメントの生活改善研究ブログ

家事パラドックス

   

今さら「最近は男性も家事を・・・」と書いたとしたら時代遅れの空気感じるような気がするけど、実際に家事を担当して久しいアラ還家事メンの独り言は「家事やるなら独りになってからにしたい」が本音なのです。それほど家庭内の家事メンは得体の知れない妻の攻撃に晒される。

ひるがえって、家事をすることは会社を辞めて家を主な活動拠点とする人々には「良い事ばかりですよ」的なことをネットで発見することは少しも珍しくありません。
たとえば家事をすることでリタイアメントの慢性的運動不足を解消して長生きできる可能性が高まる!みたいな下記のリンク先記事を読めば「ワタシ経験なしでも家事やれました!」「オレも家事やってみっか・・・」と風呂上りにそう決心することもあるでしょう。
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家事は命を救う? 1日30分で死亡率低下(ニューズウィーク日本版)記事へのリンク

すでに主婦をもじった?「主夫」という男子像もすっかり定着し、安売りスーパーへ買い物袋下げて買い出しするアラ還男子の姿も完璧日常化してしまっていますから、さぞかし家事メンも家庭の重要な戦力になっているのかと思いますが・・・

同じく家事メンの私は何とも煮え切らない気分で毎日家事をこなしている日々が延々と続いているのでした。

煮え切らない気分の具体的解決方法はまだ何とも釈然としません。
ただもし100歩譲って、私がもしスーパー男子だったら釈然としない気持ちはきっと払拭できるでしょう。スーパー男子とは、ピンクレディのUFOの歌詞にある「・・・飲みたくなったらお酒、眠たくなったらベッド、次から次へと差し出すあなた・・・」の部分が過不足なく遂行できる男子のことです。

私だって・・・
私はいつも、毎日毎日、正月も誕生日も家事の実行を欠かしていません。
掃除、皿洗い、風呂掃除、犬の散歩、動きの悪い戸の調整、町内会、地域のゴミ出し当番などなど。
なのに、なのに妻の文句は絶えない状況が延々と続いています。
私はいつも毎日妻を車で送って行きます。そんな道すがら、まさに私が妻を横に乗せて駅まで運転する最中にさえ、横に座っている妻は私の日頃の家事に対して文句を吐き捨てるように言います。

私は私がどう考えても家事を毎日キチンとこなしているにも拘わらず、妻がこうして私の家事について文句が絶えないのは妻が完璧主義かつ近視眼的だからではないか!?と今までは思ってきましたが、下記のリンク先記事を読み、理由は納得いかないまでも状況理解はできました。
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「イクメン」「カジメン」なのに妻が満足しない訳(All About記事)へのリンク

ここに「道具的サポート」と「情緒的サポート」という言葉が登場して解説されていますが、情緒的サポートがズバリ私が感じてならない家事パラドックスの根本的要因だと書いてあるし、それは理解するに十分な説得力です。

私が妻を車に乗せて毎日送っていくという「十分な?」家事を私が実行しているまさにしその最中に口を荒げて私の家事を罵る妻の態度を分析する研究テーマがまさに「情緒的サポート」のあることはこれで完璧に分かりました。

ただ・・・
実に腑に落ちないんですよね。どーして??って。

腑に落ちない理由は簡単に言ってしまえば「そんなこと気にしなくたっていいじゃん」なのです。

もっと言うなら・・・
そんな細かい事に気を取られていたら、やりたい事をやるチャンスを逸してしまう。
私自身は短命男子の家系に生まれているからきっと余命?あと20年ぐらいで消えて無くなるから、その20年間は可能なやりたい事は全部漏らさずできるだけたくさんやりたい!そのためには毎日「明日は何をやろうか・・・」と考えていたい。だから弱いオレの頭に余分な思考能力が無いから、せめて家事は決まったことを毎日淡々と繰り返すだけでカンベンしてよね。。っていう強い希望が有るんです。

そうなので、言葉で言ってくれない「情緒的サポート」の適切な実行は難しい。これが私の本音でして、「あーそうだったのか・・・情緒的サポートには気づきませんでした。明日から心掛けます・・・」ってならない抵抗感が心に満載なのです。

逆に、道具的サポートで済むのなら、私はもっと妻をサポートすることを惜しみません。
掃除をしているときも、犬の散歩中も、運転中だって、私は「明日のアレはああしようか、いやこうしようか・・・」と考えていられます。道具的サポートが既にルーティーンになっていればいるほど、サポート作業は「体が覚えており」、それを実行する時刻が来たら体が自動的にソワソワして動き出し、掃除して犬と外に出て妻を迎えに車を出す・・・という一連の行動は実によどみなく流すことができるようになっています。これは私の生活の基本形なのです。

でも実は妻の頭の中では私に「情緒的サポート」を期待し、それを実際に運用させたいとして仕掛けてきています。以前はこんこんと私にお説教しました。あなたの掃除はここが悪いあそこが出来ていない。犬がこんなに騒ぐのはあなたの犬への接し方がいけないからだなどなど対話を通じて私のサポートを変えようとしていましたが、今は文句言って罵るようになりました。きっと誰かと同じ「今は対話の時期ではなく圧力をかける時期である」と判断したのでしょう。

妻は更に私の家事を「あんたはコレもうやらないで!」と取り上げるようになりました。
私の家事品質が悪いからだと妻は言います。
そういうふうに道具的家事サポートアイテムを干されていくと、私はきっと道具よりも情緒を重んじるように態度を悔い改めると思っているのでしょう。

しょーがないから、私は徐々に道具から情緒へと舵を(家事を)切り替えるつもりです。しかしあくまでも徐々に・・・。

面倒くさいなぁ。。。

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