リタ研ブログ 大庭夏男の早期退職法

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リタイアすると無意識に遭遇する、貢献欲求という「厄介なもの」がある

      2017/06/15

以下のリンク先は「貢献欲求」についての重大性について語っています。が、そんなもの言われて「はじめて気づいたわ!」という具合に、ふだん意識せず、しかしそれが無くなると不思議ふしぎなことに、喉が渇くように「その欲求が発症して来るんですわ!」と気づくことになります。
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「あり余るほどのお金と時間を手にし、心を病む人たち」JBpress記事へのリンク

「会社に勤務しているということは社会貢献をしていることになります」
と言われてもそんな実感あるでしょうか?
私の現役時代にはそんなもの、貢献だと思いませんでした。
でもしかし、社業自体が社訓にも書かれている?ように社会に貢献する(会社によっては社会の害になる社業もあるけど?)し、次の未来を背負って立つ若者を育てる場としての会社の社会貢献もあるでしょう。

それを意識していなくても、会社に勤めている時代は自動的に貢献欲求が満たされています。社会に貢献しなくても、社長の喜ばすことに貢献することも、忘年会で課長挨拶してたくさんの拍手をもらうのも貢献の証なのです。そういういくつもの小さい貢献を積み重ねられるのが会社の良いところ。しかしリタイアするとそうした貢献欲求が簡単には満たされなくなります。

しかしおそらく誰も「俺は貢献欲求が満たされなくなった」とは気づかないでしょう。
その代わりに「毎日毎日、何をやっても、やっていなくても退屈だぁ」とため息が出る、あるいは酒を飲んでいないと不安が頭から離れない。こういう症状が出てくるものと思われます。

退屈だからと趣味を新たに探したりしても長続きしないのが関の山だそうですが、その原因は趣味では貢献欲求が満たされないです。なぜなら趣味のいくつかは自己完結してしまうからです。

そうならない貢献欲求が満たせる趣味は無いのか?
ボランティアがそうだと上述リンク先記事には書かれていますが、これも貢献欲求が満たされるとは限りません。ボランティアには二種類あります。ハードなボランティアとゆるいボランティアです。
ハードなボランティアは貢献欲求満たされること絶大ですが「こんなたいへんで会社以上かもしれない努力払うの無償奉仕なんてあり得ない!」となってしまい脱落してしまうリスクが高いです。ゆるいボランティアでは逆に「こんなことじゃ貢献にならないじゃないか!」と憮然とした気分になり離れてしまうことになりかねません。最高に丁度いいボランティアなんて易々と巡り合わないものです。

そうして趣味に飽き、ボランティアもやってみたけど肌に合わないと感じ、ある人は家に引きこもりになり、別の人はまたどこかの会社に雇われて働くということで貢献欲求を満足させる「リタイアメント生活からリタイアする」に戻ってしまいます。

そんなにも克服が難しい?「貢献欲求」なので、なんとかこの厄介な「貢献欲求」をやりくりしなければ、いつまで経っても「俺はだめだ・・・」気分に苛まれます。

そのために・・・
1.貢献欲求をなるべく下げましょう
「明日になったら貢献しよう」と考えて、今日は自己完結で楽しんでおく。こういう考え方はリタイアメントには大切です。「今日やることは明日に延ばすな!」と会社で教え込まれてきましたが、それは会社のご都合上そう言われてきました。だから本当は明日に延ばせることは明日にしたらいいのがリタイアメントの世界。貢献するのもコレと同じです。

2.受け身で貢献したらいいでしょ
貢献を自分から進んで積極的に探し回ると精神が疲れますから、何事も受け身でいると気が楽です。受け身で貢献するとは「誰かに頼まれたらやって差し上げる」ことです。貢献の基本は私は受け身ではないかと思います。やって欲しいニーズがあるから頼まれたらやって差し上げる。頼まれない時には自己完結の趣味をやっている。これでいいのです。自分から貢献を売り込むことは「大きなお世話」と昔から言います。

3.「貢献欲求の満足感」が有りさえすればいい
「満足」と「満足感」は違います。満足感とは実際は満足が確かめられなくても、満足した「感じ」の気分になることです。
いろいろな機会あるごとに“タメになる話”をしたらいいのです。「俺は昔こんなことをやって成功したのだ(だから同じようにやってみろ)」。こう言うと相手のタメになる。だから貢献できたのだ!と満足感が漂うでしょう。
この段階で帰ってしまいます。その後のことは気にしません。
きっとそんな話を聞かされた方々は「あの老人の自慢話を聞いてあげた」と、貢献意識を高くしたと思いますが、そんなことを想像しないで帰って寝てしまえば一件落着です。

4.大袈裟に貢献を考えなければいい
我が国日本では「〇〇できる」「〇〇する」と言えば、完璧にできたりしたりすることを期待される傾向が強いと思います。なので「貢献する」と言えば、それは立派な立派な誰もが感心する社会への貢献を思いうべてしまいますが、そんな大それた貢献なんてそんじょそこらに転がってはいません。

そんじょそこらに転がっている貢献とは・・・
道で誰かと会ったら挨拶するようなものです。

貢献欲求を満たすことは、そこから始めたらいいんじゃないでしょうか?

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