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リタイアメントの生活改善研究ブログ

リタイア生活の必需!飽きない技術

      2017/05/08

「リタイア後は好きな趣味で悠悠自適」というようなフレーズをネットで目にしますが、これには“飽きてしまう”というリスクがあります。好きなハズの趣味も、一旦飽きてしまうともはや続けられません。もしそうなったら・・・生活資金に心配なくても毎日が長い退屈な日々で過ごさなければならず、せっかくのリタイア生活は苦痛な日々に変わってしまいます。だから、そうならないように「飽きない技術」が必要です。

趣味は「上達」だけが目的ではやがて飽きてしまう

私にも“飽きてしまった趣味”があります。例えばスキー。
私にとってのスキーは、まさに冬のレジャーそのもので、競技選手になったりインストラクターになる希望はまったくありませんでした。毎年冬になると家族で信州のスキー場へ出かけ、一応上級者コースで滑走できるまでには到達しましたが・・・そこまで滑れるようになったある日「ここまで滑れるようになったけど、それでいったい何になる?」と考えてしまいました。その答えは「何にもならない」。それでスキーをやめました。

趣味は続けていると上達し、それ自体は楽しいことなのですが、やがて「これがいったい何に役立つ?」と考えてしまう日が、私には必ずやって来ます。そのとき続ける答えが出せない趣味はその日限りで“終焉”を迎えてしまいます。

私は今、海外旅行のマイブームの中に居て「海外旅行こそ楽しい」と思っていますが、やがてこれも「海外に行って何になる?」と考える日がきっと来ると確信しています。そのときに「単に自分の好奇心を満たすためだった」というのが私の答えだったら、きっと海外にはもう出掛けないようになってしまうことでしょう。

毎日できない趣味は興味が薄らいてしまう

前述した「海外旅行」という趣味は、1年365日の毎日はとてもできません。なので海外に行かない日本での日常が続くと「べつに海外に無理して行かんでもいいわ」と、自然に気持ちが萎えてきます。「去る者は日日に疎し」ということです。

こういうことにならないよう「趣味は毎日でもできるような条件が必要だ」と言えると結論したくなるのですが、それも実際には不可能です。

好きな趣味でさえ、時々しかできないことが多くの人の実際だと思うし、私自身はそうです。

では、どうしたら“好きな趣味”を続けて行くことができるでしょうか?

1.注目を集められるように趣味のやり方を改造する

独りだけで好きなことに没頭するのが“純粋趣味”。これは上述のように飽きてしまって続けられないリスクがあります。飽きてしまったらすぐに違う趣味が次々と見つかればいいのですが、実際にそうはなりません。

この「飽き」を防ぐには誰かから注目されているのが良さそうです。

注目されるには、例えば上述のスキーなら、上達して認定を受けてインストラクターになれば受講者から注目されるでしょう。スキー技術の上達の他に教え方も考えるようになり、人当りも気にするかもしれないし、感謝もされることになるでしょう。そうなったら簡単には飽きることができない良い状況になります。

海外旅行ではガイドを始めたらいいのかもしれませんが、そうなるにはハードルが高すぎます。そう難しく考える前に、海外旅行での“旅行記”をブログで書くとか、YouTubeで公開すると、必ず訪問して来る方々が現れますから、そのアクセス数の推移を眺めているだけで“注目されている”ことが実感できます。

単に見に来ているのを注目と呼べるのか?という疑問が湧くかもしれませんが、ネット上でのアクセスは、誰が何の目的を持って訪問するのか分かりません。分からなくても実際にアクセスが有り、記事をアップし続ければアクセス数も上がって行くから、確実に誰かからは注目されていることになります。

そう思っていれば「もっと記事や動画をアップしたらもっと注目されるかも」だから趣味をさらに続けよう、とモチベーションにつながって、飽きることがなくなります。私の海外旅行の趣味を支えているのは今は主にこのやり方です。

2.本能的に大好きなことに特化する

ただ、例外的に誰からも注目されなくても続けられる趣味があります。「なぜそれが好きなの?」と誰かに尋ねられても本当の理由は深すぎて言葉では表現できないような“本能的”な趣味です。

私の場合は野山や海で小動物を採集するのが“好み”です。子どもの頃は昆虫採集してたくさんの昆虫を飼ったり、昆虫採集セットの注射器とフォルマリン液を使って多くの虫を殺しました。

最近は殺すのも飼うのもやめましたが、採集することは今でも始めると熱中します。

多分これは狩猟本能かもしれません。昆虫に限らず魚もネズミもヘビもトカゲも、うまく捕まえたときは無性に嬉しいです。「なぜ小動物を捕まえるのが楽しいの?」と聞かれてもうまく答えられません。「かわいいから」と答えたとしても「なぜかわいいの?」にはまったく答えられません。「小動物はかわいいと思うからかわいい」としか言えず、今はしないけど、子どもの頃にそういう“かわいい虫達”を殺して標本にしてしまったのも猟奇的に本能的な趣味だったのかもしれないです。

私はオタクではないから「オタクの気持ち」が完全には分かりませんが、想像するにオタクな人はこの種の本能的な趣味を飽きもせず永遠に続けられる、たぐいまれな才能を持っている幸せな人だと思っています。フィギュアや二次元世界を愛する趣味は、そういう趣味を持たない人からはまったく理解できません。しかしそういう趣味を幸いにも持っているなら「俺はいつまでこんなことを続けているのだ」などと決して思わずに、大切に死ぬまで温めていくのがいいと思います。オタクであることは一生ものの宝です。

3.小銭が稼げる趣味にする

「注目されること」も「本能的な趣味」も、もしそれで小銭が稼げればさらに飽きにくい頑丈な趣味基盤ができること間違いなしです。

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なぜ「小銭」とあえて書いたのか?
お金を稼ぐことは副次的なことで、本来の目的にはしない方がいいと思うからです。もしお金を稼ぐことを目的にした場合「それで食えるようになること」と、高い目標が思い浮かび、その目標のためなら「好きではないことにもあえて手を伸ばす」という具合になってきます。これで成功するなら悪くはないですが、もはやそれは営利事業です。営利事業はお金が儲からないということは許されないですから、本来の趣味の目的を逸脱する新しいリスクを呼びます。さらに目標が達成できなかったら、やる気を無くし、せっかくの“死ぬまで続けられるはずだった趣味”を手放したくなってしまうでしょう。

なので、趣味でお金を稼ぐ事業にしたとしても、それはあくまでもモチベーションを上げるための手段に置いておくべきで「今年は儲かったらから嬉しい!」程度にしておくといいと思います。リタイアメントは“今後の生活費はもう十分に用意できている”人がするもの、が基本だと思いますので、「十分に用意できている生活資金」が有りさえすれば、もはや追加のお金はどうしても必要である理由がありません。

もし「やっぱりお金稼ぎは必要だ」と思うのなら、このような副次的なモチベーションのための小銭稼ぎではなく、お金稼ぎのためのアントレプレナーだとわきまえてやるべきでしょう。だたしその場合は「自分はリタイアメントで、ついでにお金稼ぎ・・・」とはもはや言えません。

まとめ

私の周囲で趣味を、あるいは当人は「趣味じゃない」と言っていますが“好きなこと”を飽きもせず続けている人を観察すると、最初に書いた「注目される」を実践していると思われる人が何人もいます。

彼らは高齢の人で、ネットも使わない人なので私のやり方とは違いますが、着実に注目されています。

その一例は、私の加わっているボランティア活動に“いつも昼になると手料理を持って来てくれる70歳を超えた男性”がいます。その人は以前は料理のプロだったのですが引退しました。でも料理が好きで、釣った魚や山菜を使って、まさにプロの味に仕立てた料理を毎回12時になると自転車で持ってきてくれるのです。そういう行為と味は、まさに注目されているので、彼の趣味?は延々と続けられているのだと私は思います。もし釣った魚を料理して自分で食べるだけだったら、あんなに手間のかかることは続かないことでしょう。ちなみにボランティアなので、彼への報酬は「ありがとう」だけです。

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